2012年01月25日
冬のびと
本降りの雨。くしくも一ヶ月ぶりの雨である。写真ではわかりにくいが結構降っている。作物にとってこのうえない恵み。野びとにとってはこのうえない晴れ間への期待・・。ところがこの雨、私自身の感覚がおかしいのか、たいした雨とはどうしても思えない。山の斜面。目をやるとたしかに結構降っている。白糸がくっきり見えた。
野びと以外の大人が傘をさして散歩している現状に、やっぱり雨なんだと気が滅入っていった。やっとである。やっと滅入ったのである。普通キャンプに雨は滅入るものだと決め付けている。きっと子供たちも雨のせいで楽しめていないだろうと子供たちに目をやった。すると予想に反して焚火のまわりに集まり奇声部隊を作りあげていた。
まるで天候に恵まれたようなはしゃぎっぷりは野菜である。雨など本質。もともと雨などびくともしない。楽しもうとする気持ち。
2012冬野びと塾、小8名。講師9名。計17人+一般の講演参加60名。うち岩手県の被災地から夫婦1組。この夫婦こそ今回の主役である大槌稲荷神社の神主と奥方である。私が二度目の被災地支援に赴いた4月、当時100名以上の地域の被災者を避難所長として守っていた大槌稲荷神社の神主さん。6ヶ月に及ぶ長い避難所長生活を終えて神主に戻った時間を無理に利用して、焚火を囲んで講演会、こどもたちとキャンプ、しかもそれは静岡県という旅に出たのは三日前。途中、秋田県で自家用車が故障して急遽レンタカーを借りて走った二日前。そして昨日はよくわからない。フリーダム。そして当日夕方到着。
震災がおきて日本は変わった。私はそう言いたい。変わらなければならないのだと。震災が起きる前、絆を超重量級の言葉として使えなかった。お茶だし御礼の手紙をもらったり、支援協力してくれた方にひとつの目的を主として絆があったり友達や家族との関係にそれらはあった。全体像としてのそれを感じない事実に苛立ちを覚えたこともある。
そんなある日ひょんなことから自分のなかで概念付けられた色を無色透明に変えてくれた。きっかけは野びと塾。人間の本質をわかっていないようで一番理解している。まるで老人みたい。どうせ仲良くするなら早いほうがいいと初対面からわずか数時間で小さな絆が生まれている。
はるばる岩手から。どうせならおいしいご飯を食べてもらいたい。夕飯の支度。スープと野菜炒め。もちろん焚火で米炊き。大成功。参加者からご飯成功。という声。
そしてメインイベント。「焚火講演会 僕の避難所長日誌」冬だし夜だし雨だから室内で講演会やってもらおうよ、ほとんどの大人に言われた。厳しい環境だからこそ子供の希望を聞いてみたい。雨でしかめっ面の私は「今日の講演会だけど、場所移動して室内でやろうか。」すると予想通り全員が反対。焚火を囲んで話してくれないと意味がないのだと。雨合羽を着た子供たちは日常でない神主さんの話に熱中した。焚火と神主さんの声が優しくてひとり寝てしまう子もいた。地元笹間の方も参加して、焚火のまわりには30人の輪ができた。神主さんの社交性も手伝って子供たちと笹間の方たちと交流できた。夜はあまり寒くなくグッスリ眠れたようだ。
二日目。テントに雨が染みついた冷たい朝を迎えた。起床時間よりずいぶん早い小学生。せまいテントでもぞもぞ。みると完全に眼をみひらいていて天井を眺めている、一瞬目が合ってしまった。「外、あそびいっちゃおっかなぁ」ひとりごとで様子を伺っている様子。つきあいで私も起きだして朝食準備に取り掛かることにした。夜明け間近。水墨画は今にも雨を降らしそうだ。
峰中央に浮かぶ巨大な霧。
遅めの朝食を済ませて子供たちは集落のお宅へ。かまどで調理がその目的。調理係は庭先で野菜を切り、お婆さん(82歳)に聞きながら火加減を指示した炊飯係、薪係はそれに答えてかまどに薪をくべつづけた。お婆さんが親切に指導してくれたおかげで抜群の米が炊きあがった。みんな自分の係以外の仕事も手伝えたかな?もしそれが出来たらすごい人になれるから頑張って。味も気分もほくほく。お借りしたヒノキのおひつに白米。交流センターの片隅でそれを食べる。自然に声が洩れる。うまい。スープもなんだかうますぎる。自分たちで作った料理、みんなの表情と「外飯」の調味料が二個セット。30年以上米炊きには使用されていなかったかまど。野びと塾が人類初めて使用した焚火という炎を使用する一方で、かまどは昭和以前の日本の風景。
ご飯、汁モノは子供たち。ミャンマー料理はミャンマー人講師の手によって作られた。大学生の彼女たちの作った故郷の料理は子どもたちからも好評で、味覚も故郷の味のようだった。
時を同じくして交流センター建物内では神主さん二日目となる講演「災害に備えて いま私たちにできること」笹間はもちろん島田や静岡、焼津などから50名を越える客人がみえた。志の高い人が日本にはまだたくさんいると感じた。笹間はきっかけがないと一般人は足を踏み入れない奥深い山間集落だから、講演会を機に山村と都市住民の意見交換の場になったと思う。みな腹をすかせて帰っていった。笹間に食堂がほしい。
最後はローソクづくり。みつろうローソク職人を呼んで野外教室。使用は緊急時のみ。普段は飾り。飾りのままでいいよ。おとながいれば点けても良いです。そんなわけで厳冬野びと塾は無事終了です。厳冬と言ったものの春。
外の世界は成長の宝庫なのを知っているかのように、初日の雨に関わらずいっぺんもセンター建物内に入ろうとしなかった。野びととして自信をもって世に出せるキャンパーに成長する日は近い。
お母さんに見守っていてもらってはんごうで米をたいてみよう。家の調理場でも簡単にたけるよ。
はんごうがない人はネットかマサトラ先生に相談してみよう。
野びと塾
青山真虎
★2012年冬野びと塾は(社)国土緑化推進機構「緑と水の森林ファンド」の助成を受けて行われました。
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