2013年08月27日

第14回 縄文自然体験学習 野びと塾 活動報告

第14回 縄文自然体験学習 野びと塾
2013年7月27日~28日
夏野塾 参加者17名
場所:楢尾の山林


きまりごと:こども主体、おとな手出し無用、全日程野外

どうして野びと塾のカレーはうまいのか。まいどの事ながら、どうしてあそこまで質の高いカレーができるのか不思議でならない。旨味成分に野外という調味料と協力という隠し味があるとしたら、カレーづくりは朝の集合時点から始まりだしていたにちがいない。
持ち物は、必要最低限にまとめられた、どれもこれも必要なもの。その日生き抜くための水2ℓペットボトルと野菜一品が主な教材。水がなくなれば汲みに行き、生徒達で朝夕メニューを考える。シチューや鍋、煮物といった選択肢もありながら、最近カレーから道をそれたことがない。とにかく夕飯のカレーは抜群だった。
 


標高900m地点の野営地に到着してさっそく班分け。こどもたちで班をわけ、その中から調理係、炊飯係、焚火係、それに班長を決めた。
元気いっぱいの子ども達は昼食前に薪をあつめた。普段山を歩かないなかでの薪あつめ。山林の急坂をおっかなびっくり上下する生徒。二日目の植樹活動に備えての特訓でもある。杉林で細い枝しかない。1時間かけて集めた薪も、きっと1時間の燃焼量しかない。山奥へクルマで出掛ける。文明の利器を使わないと、いよいよこのキャンプ地にも燃せるものがなくなってきた。ちなみにこのキャンプ地は林道開発の残土捨て場だったのを借り上げて4年前から野びと塾が整備させてもらっているキャンプ場。


昼食を食べたら、さっそく夕飯作り。縄文人はメシを食うために生きていた。マヤ文明は食料豊富なジャングルに生きていたので天文学に精通することができた。
 文化の原点は、まず火をつけること。湿った薪のため着火に手こずりながらなんとか火をつけ、ぼんぼん大きな薪をくべてゆく。調理係が切り終わった野菜を鍋に入れるころ、立派な炭が煌々と夕陽にまけない輝きをみせた。水の加減をシビアに調整した飯ごうもグツグツ煮始まると、木の枝に群がるヘビのような炎を蹴散らして炭熱で蒸らしに入る。

1班7人の大所帯だと、遊んでしまう生徒もでてきて、少数班がより教育的効果があると思った。みんなが作業しているのに遊んでいる子にも、なるべく我慢して言わないようにしていたが、さすがに何もしないでメシを食えるほど野びと塾は甘くないので、自分の世界に入りこんで久しい生徒には「飯ぬき」と言ってみせる。最近の子どもは叱られ慣れていないのか、指導すると萎縮してしまう子と、自分の世界から抜けないこがいる。。

学校教育では、考えることを優先する授業がすこし増えたと聞く。とても必要な事だと思う反面、考えるだけで良しとしているフシがあるようにも感じる。考えはすばらしいが行動に移せない生徒をたびたびみかけるようになった。燃えあがる焚火に薪をくべるのに考え込んでしまう。テントを建てるのにかなりの時間を要する。ある一定の部分では大人顔負けの野外スキルを身に着け、一方で出来ない作業が明るみになった。
こうした状況をふまえ講師陣の中から案がでた。ゲーム感覚で動くことを前提にメニューをつくったらどうか、時計をつかって時間を守りながらやったらどうかという案である。講師陣からありがたくも貴重な案がでてきたが、太陽の位置で時をよむ感覚や気温の微妙な変化を体で感じることを身に着けてほしいし、楽しいからという理由より助け合わなくちゃという感覚を育んでほしいから、野びと塾の原点はゲームでなくリアルでとりあえずいく。

さて、夕飯を食べ終わって沢水で食器を洗いおえると、焚火を囲んで一人ずつ発表の時間。「どんな大人になりたいか」の題のもと、みな一人ずつ語り合い、つっこみも満載。たのしい夜の山林ツアーも。ついでに空になった2ℓのペットボトルに岩清水を注ぎ込む。熊の出没多数の楢尾、夜の山林では大声で「くまさ~ん、人が通りますよ~」とか、とにかく大声で約1時間ナイトウオークを楽しんだ。


日曜の早朝。テントのがさごそ音で眼があく。4時45分。早すぎる。いつものパターン。おきてしまった生徒がまわりを巻き込んでいく。徐々に話し声。しだいに大きくなる笑い声。テントのチャックを開ける音。だいたい次には「先生、ライター貸して」とテント口までやってくる。予想通り。焚火を先に起こしてもらい、早起き組で朝食の準備に取り掛かる。朝食は野菜炒めと味噌汁。食べ終わると植樹活動に入る。米は二日間よく炊けた。

標高900m、岩だらけのガレ場には、はぎの花が満開だった。このはぎは以前に野びとたちが撒いた種で当時30kgほど撒いた。二年を経過した今1000坪ほどのガレ場一面に根付いた模様。2サイクル目の期待は、すでに枯れ落ちた一代目のはぎが栄養分になり、さらに、飛んできた枯葉が引っかかり、部分的ではあるが地表に1cmほど土ができており、岩だらけの山に土の匂いがした。日本固有の雑草パワー。外来種が入ってくる前に根付いてよかった。

ガレ場は水の保湿効果が乏しい。雨のたびガラガラ崩れる。河川に大量の土砂が流れ込み、水温上昇。海にも影響し、魚介類の生態系にダメージを与える。漁業関係者は漁獲減少に頭を抱えているが海だけ見ていても魚は増えない。日本は福島原発事故で魚に放射線量が確認され、今後さらに魚を食べる機会は減るものと思われる。水、食料、命、そしてエネルギーの源が山林にあることを思い出すときがきている。戦後教育を受けたほとんどの日本人は文明の急速な発達により、恐れ敬うべき存在を見失った。感謝する対象の根っこに存在した峰々はチカラを別次元に働かせるようになり、それは同時にわたしたちがすき放題生活していたことを知るきっかけとなった。ゲリラ豪雨などの気候変動がそれである。


これから農業は大変なことになる。お国の命令により種のつかない野菜を栽培するからだ。つまり私たち日本人は、循環する社会に生きることを許されない環境におかれてしまったのだ。それほど遠くない将来、生活用水さえ買い、すべてのエネルギー源を輸入に頼り、自給自足は遠い夢物語になっているだろう。化石を悪用する者たちは説明義務を果たすことなくガソリン価格を徐々にあげ、水源は中国人に買い漁られても放っておき、ふるさとを奪われる可能性が露呈された原発を再稼動しようとしている。地方に交付する地方交付金もカットしますと誰かがうそぶく。いったいどうしたら我々はこれからもこの島国で、日本人として生活をつづけられるだろうか。

答えは簡単だ。人間も自然サイクルのなかで生きていることを思い出せば復古は訪れる。戦前、誰もが信じてきた山岳信仰は、戦争に負けた時点から日本人の教えは間違っていたと国民みずからが反省し、連合軍の指導もあって山への畏敬の念を学校で教えてはいけないことになった。国土8割が山の日本では、山をうやまうことは宗教でもなんでもなく、日本人の生き方そのものだった。さらに戦後の植林政策により根の浅い杉ヒノキを大量に植えた結果、気候変動も手伝って表土に栄養のない山は崩壊の一途を辿っている。土砂災害現場をみていると山みずから栄養のない斜面の再生をうながしているようにもみえるが、そこで暮らす人間はひとたまりもない。おなじように山もそう思っているに違いない。

もし日本が命輝く国として再び繁栄するとしたら、そのときの予兆はこうだ。人の手によって壊しつづけてきた同様あるいはそれ以上に森林を手当てさせてもらい、資源として使わせてもらいつつ誰もが生態系を考えるようになり、家庭菜園で土にふれる生活をして、雨に感謝し、太陽に手を合わせる。村のだれもがあらゆる生命体に平等と調和をおもんじるようになり、そこではじめて動物や大自然は、わたしたち人間に目をむけてくれるだろう。最近のゲリラ豪雨は、まるで人を無視した身勝手な自然界の行動であるが、人がしてきた行為そのものを反映しているだけということに早く気づかなければならない。自然界は怒っていない。動物界は恨んでいない。私達そのものである。
 
 
 さて植樹活動である。50本の苗木をガレ場の斜面に植える。コナラ、タブノキ、カエデ、ヤマザクラなど。過去14回の野びと塾で計550本の苗木を植えたことになる。野生動物に食べられてしまった苗木は数しれず。野生動物も困っている。植え終わると6名の生徒がいないことに気づく。どうやら勝手に岩清水を汲みに行ってしまったようだ。追いかけようと思ったがそこで待つことに。集団行動、しかも山、いままで大人の目の届かないところに生徒だけで行ったことはなく正直びっくりして指導法が間違っていたのだと自信喪失。野びと塾は軍隊ではないが、いくらこども主体であっても勝手な行動は許されることではない。ある程度の規律をもたないと成り立たないのが野外活動の鉄則。彼らの帰りを説教が苦手な講師ひとりが待ちうけ、ほかの生徒はバスで集落までおりていく。岩清水を汲みに行った生徒たちは自分達の重い重い荷物を担いで、集落までの林道を2kmほど歩いておりていく。罰なのに罰と思えないほど楽しそうにくだってきた。

オリエンテーリングはこどもたち主体でおこなった。10軒ほどしかない標高700m集落の御宅へ訪問する班、罰をうけて林道を歩いてきた班は冒険したいというので谷までおりてゆく。冒険組の試練はつづく。山ヒルの大量発生にでくわし、全員被害にあった。もうヒルなんて大嫌いという生徒たち。しかしヒルにも家族がいて、私達と同じ生き物。人間の不要な汚れた血を吸っているとのうわさもある。こども修験者たるもの殺生せずギャーといいながら山を駆け上がっていった。

今回の野びと塾。参加半分が初参加というのもあるのか、それとも私の視点に変化がでたのか、着実に成長している子と成長をとめてしまう子の差をみてしまった。私たち講師陣の指導の未熟さもあったように思う。反省しきり、課題山積の夏野塾であったが、良いこともあった。わるさをして怒られた生徒を親身になってかばう子がいたのだ。純粋な心は真の公正公平を望む。

正直者から得をして、純粋なことで利益を手に入れられる。そんな世の中になるよう、塾長としても努力してゆく所存です。生徒のみなさん、保護者の皆さんありがとうございました。



野びと塾
青山まさとら.


同じカテゴリー(活動報告)の記事画像
第13回野びと塾 縄文自然体験学習
第12回 野びと塾 縄文自然体験学習
2012夏野塾 感想文より
たき火を囲んで
第11回 縄文自然体験学習 野びと塾 活動報告
冬のびと
同じカテゴリー(活動報告)の記事
 第13回野びと塾 縄文自然体験学習 (2013-03-31 20:48)
 第12回 野びと塾 縄文自然体験学習 (2012-11-15 21:13)
 2012夏野塾 感想文より (2012-07-20 13:49)
 たき火を囲んで (2012-07-18 15:26)
 第11回 縄文自然体験学習 野びと塾 活動報告 (2012-07-17 21:33)
 野びと塾10th 春野塾 (2012-06-19 16:05)

Posted by 野びと塾 at 14:56│Comments(0)活動報告
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
第14回 縄文自然体験学習 野びと塾 活動報告
    コメント(0)