2013年08月27日

第14回 縄文自然体験学習 野びと塾 活動報告

第14回 縄文自然体験学習 野びと塾
2013年7月27日~28日
夏野塾 参加者17名
場所:楢尾の山林


きまりごと:こども主体、おとな手出し無用、全日程野外

どうして野びと塾のカレーはうまいのか。まいどの事ながら、どうしてあそこまで質の高いカレーができるのか不思議でならない。旨味成分に野外という調味料と協力という隠し味があるとしたら、カレーづくりは朝の集合時点から始まりだしていたにちがいない。
持ち物は、必要最低限にまとめられた、どれもこれも必要なもの。その日生き抜くための水2ℓペットボトルと野菜一品が主な教材。水がなくなれば汲みに行き、生徒達で朝夕メニューを考える。シチューや鍋、煮物といった選択肢もありながら、最近カレーから道をそれたことがない。とにかく夕飯のカレーは抜群だった。
 


標高900m地点の野営地に到着してさっそく班分け。こどもたちで班をわけ、その中から調理係、炊飯係、焚火係、それに班長を決めた。
元気いっぱいの子ども達は昼食前に薪をあつめた。普段山を歩かないなかでの薪あつめ。山林の急坂をおっかなびっくり上下する生徒。二日目の植樹活動に備えての特訓でもある。杉林で細い枝しかない。1時間かけて集めた薪も、きっと1時間の燃焼量しかない。山奥へクルマで出掛ける。文明の利器を使わないと、いよいよこのキャンプ地にも燃せるものがなくなってきた。ちなみにこのキャンプ地は林道開発の残土捨て場だったのを借り上げて4年前から野びと塾が整備させてもらっているキャンプ場。


昼食を食べたら、さっそく夕飯作り。縄文人はメシを食うために生きていた。マヤ文明は食料豊富なジャングルに生きていたので天文学に精通することができた。
 文化の原点は、まず火をつけること。湿った薪のため着火に手こずりながらなんとか火をつけ、ぼんぼん大きな薪をくべてゆく。調理係が切り終わった野菜を鍋に入れるころ、立派な炭が煌々と夕陽にまけない輝きをみせた。水の加減をシビアに調整した飯ごうもグツグツ煮始まると、木の枝に群がるヘビのような炎を蹴散らして炭熱で蒸らしに入る。

1班7人の大所帯だと、遊んでしまう生徒もでてきて、少数班がより教育的効果があると思った。みんなが作業しているのに遊んでいる子にも、なるべく我慢して言わないようにしていたが、さすがに何もしないでメシを食えるほど野びと塾は甘くないので、自分の世界に入りこんで久しい生徒には「飯ぬき」と言ってみせる。最近の子どもは叱られ慣れていないのか、指導すると萎縮してしまう子と、自分の世界から抜けないこがいる。。

学校教育では、考えることを優先する授業がすこし増えたと聞く。とても必要な事だと思う反面、考えるだけで良しとしているフシがあるようにも感じる。考えはすばらしいが行動に移せない生徒をたびたびみかけるようになった。燃えあがる焚火に薪をくべるのに考え込んでしまう。テントを建てるのにかなりの時間を要する。ある一定の部分では大人顔負けの野外スキルを身に着け、一方で出来ない作業が明るみになった。
こうした状況をふまえ講師陣の中から案がでた。ゲーム感覚で動くことを前提にメニューをつくったらどうか、時計をつかって時間を守りながらやったらどうかという案である。講師陣からありがたくも貴重な案がでてきたが、太陽の位置で時をよむ感覚や気温の微妙な変化を体で感じることを身に着けてほしいし、楽しいからという理由より助け合わなくちゃという感覚を育んでほしいから、野びと塾の原点はゲームでなくリアルでとりあえずいく。

さて、夕飯を食べ終わって沢水で食器を洗いおえると、焚火を囲んで一人ずつ発表の時間。「どんな大人になりたいか」の題のもと、みな一人ずつ語り合い、つっこみも満載。たのしい夜の山林ツアーも。ついでに空になった2ℓのペットボトルに岩清水を注ぎ込む。熊の出没多数の楢尾、夜の山林では大声で「くまさ~ん、人が通りますよ~」とか、とにかく大声で約1時間ナイトウオークを楽しんだ。


日曜の早朝。テントのがさごそ音で眼があく。4時45分。早すぎる。いつものパターン。おきてしまった生徒がまわりを巻き込んでいく。徐々に話し声。しだいに大きくなる笑い声。テントのチャックを開ける音。だいたい次には「先生、ライター貸して」とテント口までやってくる。予想通り。焚火を先に起こしてもらい、早起き組で朝食の準備に取り掛かる。朝食は野菜炒めと味噌汁。食べ終わると植樹活動に入る。米は二日間よく炊けた。

標高900m、岩だらけのガレ場には、はぎの花が満開だった。このはぎは以前に野びとたちが撒いた種で当時30kgほど撒いた。二年を経過した今1000坪ほどのガレ場一面に根付いた模様。2サイクル目の期待は、すでに枯れ落ちた一代目のはぎが栄養分になり、さらに、飛んできた枯葉が引っかかり、部分的ではあるが地表に1cmほど土ができており、岩だらけの山に土の匂いがした。日本固有の雑草パワー。外来種が入ってくる前に根付いてよかった。

ガレ場は水の保湿効果が乏しい。雨のたびガラガラ崩れる。河川に大量の土砂が流れ込み、水温上昇。海にも影響し、魚介類の生態系にダメージを与える。漁業関係者は漁獲減少に頭を抱えているが海だけ見ていても魚は増えない。日本は福島原発事故で魚に放射線量が確認され、今後さらに魚を食べる機会は減るものと思われる。水、食料、命、そしてエネルギーの源が山林にあることを思い出すときがきている。戦後教育を受けたほとんどの日本人は文明の急速な発達により、恐れ敬うべき存在を見失った。感謝する対象の根っこに存在した峰々はチカラを別次元に働かせるようになり、それは同時にわたしたちがすき放題生活していたことを知るきっかけとなった。ゲリラ豪雨などの気候変動がそれである。


これから農業は大変なことになる。お国の命令により種のつかない野菜を栽培するからだ。つまり私たち日本人は、循環する社会に生きることを許されない環境におかれてしまったのだ。それほど遠くない将来、生活用水さえ買い、すべてのエネルギー源を輸入に頼り、自給自足は遠い夢物語になっているだろう。化石を悪用する者たちは説明義務を果たすことなくガソリン価格を徐々にあげ、水源は中国人に買い漁られても放っておき、ふるさとを奪われる可能性が露呈された原発を再稼動しようとしている。地方に交付する地方交付金もカットしますと誰かがうそぶく。いったいどうしたら我々はこれからもこの島国で、日本人として生活をつづけられるだろうか。

答えは簡単だ。人間も自然サイクルのなかで生きていることを思い出せば復古は訪れる。戦前、誰もが信じてきた山岳信仰は、戦争に負けた時点から日本人の教えは間違っていたと国民みずからが反省し、連合軍の指導もあって山への畏敬の念を学校で教えてはいけないことになった。国土8割が山の日本では、山をうやまうことは宗教でもなんでもなく、日本人の生き方そのものだった。さらに戦後の植林政策により根の浅い杉ヒノキを大量に植えた結果、気候変動も手伝って表土に栄養のない山は崩壊の一途を辿っている。土砂災害現場をみていると山みずから栄養のない斜面の再生をうながしているようにもみえるが、そこで暮らす人間はひとたまりもない。おなじように山もそう思っているに違いない。

もし日本が命輝く国として再び繁栄するとしたら、そのときの予兆はこうだ。人の手によって壊しつづけてきた同様あるいはそれ以上に森林を手当てさせてもらい、資源として使わせてもらいつつ誰もが生態系を考えるようになり、家庭菜園で土にふれる生活をして、雨に感謝し、太陽に手を合わせる。村のだれもがあらゆる生命体に平等と調和をおもんじるようになり、そこではじめて動物や大自然は、わたしたち人間に目をむけてくれるだろう。最近のゲリラ豪雨は、まるで人を無視した身勝手な自然界の行動であるが、人がしてきた行為そのものを反映しているだけということに早く気づかなければならない。自然界は怒っていない。動物界は恨んでいない。私達そのものである。
 
 
 さて植樹活動である。50本の苗木をガレ場の斜面に植える。コナラ、タブノキ、カエデ、ヤマザクラなど。過去14回の野びと塾で計550本の苗木を植えたことになる。野生動物に食べられてしまった苗木は数しれず。野生動物も困っている。植え終わると6名の生徒がいないことに気づく。どうやら勝手に岩清水を汲みに行ってしまったようだ。追いかけようと思ったがそこで待つことに。集団行動、しかも山、いままで大人の目の届かないところに生徒だけで行ったことはなく正直びっくりして指導法が間違っていたのだと自信喪失。野びと塾は軍隊ではないが、いくらこども主体であっても勝手な行動は許されることではない。ある程度の規律をもたないと成り立たないのが野外活動の鉄則。彼らの帰りを説教が苦手な講師ひとりが待ちうけ、ほかの生徒はバスで集落までおりていく。岩清水を汲みに行った生徒たちは自分達の重い重い荷物を担いで、集落までの林道を2kmほど歩いておりていく。罰なのに罰と思えないほど楽しそうにくだってきた。

オリエンテーリングはこどもたち主体でおこなった。10軒ほどしかない標高700m集落の御宅へ訪問する班、罰をうけて林道を歩いてきた班は冒険したいというので谷までおりてゆく。冒険組の試練はつづく。山ヒルの大量発生にでくわし、全員被害にあった。もうヒルなんて大嫌いという生徒たち。しかしヒルにも家族がいて、私達と同じ生き物。人間の不要な汚れた血を吸っているとのうわさもある。こども修験者たるもの殺生せずギャーといいながら山を駆け上がっていった。

今回の野びと塾。参加半分が初参加というのもあるのか、それとも私の視点に変化がでたのか、着実に成長している子と成長をとめてしまう子の差をみてしまった。私たち講師陣の指導の未熟さもあったように思う。反省しきり、課題山積の夏野塾であったが、良いこともあった。わるさをして怒られた生徒を親身になってかばう子がいたのだ。純粋な心は真の公正公平を望む。

正直者から得をして、純粋なことで利益を手に入れられる。そんな世の中になるよう、塾長としても努力してゆく所存です。生徒のみなさん、保護者の皆さんありがとうございました。



野びと塾
青山まさとら.  


Posted by 野びと塾 at 14:56Comments(0)活動報告

2013年07月13日

第14回野びと塾

野びと塾やります!
7月27日、28日、静岡の山あい900mの高地にて!

今回で十四回目となる子ども主体の超ワイルド自然体験学習。全日程野外、全日程おとなが口出し不可のキャンプ。
何もない山岳地帯、暗闇テント設営、水源地冒険、直火炊飯、水確保困難、植樹など。

おとなになったときの挑戦心、冒険心、助け合い、自然との調和を体で育みます。
おとなの普通参加や講師も募集しています。

第14回夏野塾、開催します!

くわしくはこちら

  


Posted by 野びと塾 at 12:17Comments(0)お知らせ

2013年03月31日

第13回野びと塾 縄文自然体験学習

第13回 野びと塾
2012年3月16日~17日



今回の日程は決めるのに苦労しました。

今までほとんどの野びと塾に参加してくれた人気者のKくんが県外に引っ越し。
ご飯炊きのプロKくんと頼もしいYくんは4月から中学生。
そうなると今までのように参加できなくなるのでこのキャンプはみんながそろう日にしなければならなかたったからです。




場所は久しぶりの島田市笹間。


「今回は雨大丈夫かな?」
ほぼ合い言葉になっていますが、めずらしく(笑)2日間とも好天に恵まれました。


係を決めて夕食の準備をしていると
キャンプ場の近くの方がしいたけをどっさりと持ってきてくださいました。



ふっくらして甘くてとても美味しかったです。










野びと塾がはじまって4年。
最初はお母さんといっしょに参加していた子もすっかり「お姉さん」になりました。

男の子たちはちょっとやそっとのハプニングには動じません。
今回は強風で吹っ飛んで軸が壊れてしぼんだテントで平然と過ごしていました!


係を超えて協力して作った美味しいカレーと
辛~~いオニオンサラダを食べた後はお待ちかねのたき火討論会!

現在の自然や社会について
自分の知っていること、思うことを発表しました。



2日目。
以前、戦争体験や長生きの秘訣をお話していただいたおじいさんのご仏前にご挨拶に行きました。


その後山の現状をチェック。
土砂崩れをしているところを発見。

学校でも環境について勉強することが増えました。
実際に見ることでより身近に感じるようです。

まず、知ること。
そして行動。


行動は最高の学習だということがわかってきました。




引っ越しをするKくんに内緒で。。。






みんなでメッセージを書きました。





好きなことや時間を共有し、
自分たちでひとつのことをやりとげた仲間。

裏に書かれたメッセージを見て胸が熱くなりました。











*参加者の感想

・今までの生活を見直すことができました。自分ができることをやってよりよい地球を作っていきたいと思いました。
 世界中の人々が本気で地球をよく出来るようにがんばりたいです。(小5 Y.Yさん)

・自ぜん思いの人=自ぜんを大切にして木などにやさしくする人になりたい。(小3 O.Tさん)

・昔と今では、昔は技術が少なく幸せだったが、今はそれをこわしてちがう方向にすすんでしまった。(小3 U.Tさん)

・みんなと1ぱく2日いっしょにいて、協力することとすぐにあきらめないことをまなんだ。(小5 K.Yさん)

・ぼくもぜいたくなくらしをして、自分でもきずかない、もったいないことをしてるかもしれないから
 そういうことをきずいていきたい。 (小6 H.Yさん)

・自分のことにうそをつかずに自分のしんねんをつらぬくおとなになりたい。(小5 Y.Kさん)







  


Posted by 野びと塾 at 20:48Comments(0)活動報告

2013年02月18日

第13回 野びと塾のお知らせ

3月16日(土)~3月17日(日)、

緑と森の森林ファンド助成事業 第13回野びと塾 春野塾を行います。


今年は例年にくらべて寒い冬でした。おかげで春のあたたかさがよくわかります。
今回は笹間!!自然の中で自由に遊ぶという本来はあたりまえのことがなかなか
難しくなってしまった現代、野びと塾では思いきり遊び、そこから多くの学びを得ます。
今回も楽しみましょう!レッツ焚火キャンピング!!



くわしくはこちらをご覧ください。  


Posted by 野びと塾 at 13:32Comments(0)お知らせ

2012年11月15日

第12回 野びと塾 縄文自然体験学習

秋野もりづくり大作戦



第12回 野びと塾
2012年11月10日~11日



報告書



キャンプを終えて生徒を見送ったあと、二日ぶりの風呂に入った。頭髪を洗うと、ジャリジャリ。砂かと思ったらクローバーの種だった。みんなで大量のクローバー種(40kg)をそこかしこ投げ合った結果だ。指導したのは、たしか私。豆まきではないのです、気持ちを込めてまきましょう。きっと私以外の多くの参加者も頭に種をたくさんつけて帰宅している。

 野びと塾は、二日間まともにいったことがかない。台風、雪、嵐、大雨、大寒波。そして今回は初日朝、マイクロバスのバッテリーあがり。一時間ほどロスを課された我々がたどり着いた標高900mの山中は、すでに太陽が傾きかけていた。














明日の雨に備えて、みんなに聞いた「あす雨の中、植樹活動をするか、それとも今日がんばって樹木を植えて、だけど夜ごはん闇の中だぞ」全員が今日樹木を植えると手をあげた。初参加の小学1年生たちも、わけもわからず手をあげた。樹木を植えることにした。

いつも「苗木」と表現する植樹活動の木々たちであるが今回は「樹木」と表現する。なぜなら、いつもの苗木より背が高い。たとえばいつもヤマザクラは80cm程度の苗木だが、今回は4mなのである。車内を痛めつけられたマイクロバスがまいったと言ってバッテリーあがりをおこすほど長い。

このような長い樹木を植えることになった経緯は、過去、背の低い樹木を植えたところ、鹿やウサギに食べられてしまっているからだ。ひどいときには植えたその日に食べられてしまった。獣害ネットといって動物の侵入をふせぐネット(2m)を飛び越えて動物たちはやってくる。動物たちは野びとが植えた苗木を食べるとき、なぜか先端だけ食み、食んだとき苗木を首で引っ張るのだろう、ことごとく、根を張るゼンゼン前に引っこ抜かれていた。これは学習。なぜ動物が小さな苗木まで食べてしまうのか。過去400本の苗木を植えて350本は食べられている。根ごとそのへんに落ちていたなんてことはザラ。だから今回は、背の高い樹木たちを選んだ。背が高ければトップを食べられる心配はない。

今回は、低いもので120cm、高くて4mの樹木たち。なかでも注目は東南アジア原産の菩提樹(ボダイジュ)。これは地球温暖化の影響がどこまで進んでいるかの実験でもある。菩提樹はインドでお釈迦様が悟りをひらいたときに座っていた有名な樹で、香りがとても良い。そしてもうひとつ、いつもと違うのは多種多様な樹木を植えたこと。クヌギ、コナラ、モミジ、シラカシ、クスノキ、ソメイヨシノ、ブナ、シイノキ、エゴ、エノキ、クリ、ケヤキ、クルミ、ヤマザクラ、菩提樹の15種類。きっと野生動物でも食べたくない樹木があるはず。どれが生き残るかは、また報告したいと思う。









さて、キャンプである。樹木を植えた子どもたちはさっそく夕食の準備に取り掛かった。11月なのにシャツ一枚でいいほど穏やかな陽気のなか、野菜を切ったり炊飯の準備に取り掛かる。まさか明日大雨が降るとは思いもしないほど、おいしいカレーライス。飯ごう炊きの白米は計3回ともこげてしまったが、炊飯係は「やり直す」と常に前向きだった。去年の同じ時期に、同じ場所でキャンプをしたときは、大嵐で、森がゴウゴウ音を立てる中、飛ばされるタープを片手に、暗闇でカレーライスを食べた。今回は、無風のカレーライス。無風ほど、外メシ一番の調味料はない。





そして今回の初挑戦は、闇のなか手さぐりでテント設営をしたこと。あえて暗闇でのテント設営。懐中電灯は各テントにつき20秒を3回まで。手さぐりで感覚をつかむ。おかげでテントのポール一本をダメにしてしまったが「やってできないことはない」ということを知ってほしかった。やったことがないからと最初から諦める人間になってほしくないから初挑戦は毎回重要。焚火の炎の調節にしても、考えないで即行動したほうがいいことが世の中にはたくさんある。考えすぎる前にまずやってみてほしい。なにが正しいかわからない世の中で怒られることを恐れちゃいけない。













そして翌日、朝ごはんにしてはヘビーなクリームシチューを食べたあと、クローバーの種40キロを撒いた。岩と石ころしかない「山の斜面に樹木を植える」ことは、土砂崩れの原因を根本から予防する絶対的方法であるが、それにはまず草の種を植えることを優先させたい。石ころを手のひらに載せてコップの水を流すと、保水効果が皆無であることがわかる。それがこの山の現状だ。草を育成させることで飛んできた枯葉が引っかかり、いずれそれは土になる。土があってはじめて樹木は育つ。人間も環境が整わないと勉強しても身につかないように動植物も環境次第でいきてくる。








このガレ場もさることながら、現在日本の山はスギヒノキが圧倒的におおい。スギヒノキの林は一箇所で土砂崩れを起こすと周辺でも発生するのが普通で、またたくまに一体が崩れてしまう。戦争に負けたあと金になると言われて植えたスギヒノキは平成に入ると金にならないからと手入れしなくなった。手つかずという意味にも色々ある。国土3分の1が根をあさく張るスギヒノキなどの針葉樹林に加え、開発した山は土砂崩れを頻発させており、問題の竹林を含めれば国土半分が健康でないことになる。

太古の森林をみると多種多様な樹木が折り重なって生きている。実のなる木々に囲まれた動物たちも幸せだったろう。そんな野生動物がいま「獣害」として扱われている。森に食べるものがなく里におりて畑を物色するなどが獣害である。生きているだけで害といわれてしまった動物は存在そのものを否定されている。動物の味方をしようというのではない。人間だけ幸せにはなれないということだ。一日5種類の動物や植物が絶滅している地球上では、鉄に囲まれた生活をしていても動植物のバイブスは受け取っている。どうあがこうと自然界と調和せざるをえない人間は、どこかなにかに不満や不安を感じながら生きている。そんな不満を解消するヒントが太古の森にはある。一種の生き方を競い合って上に伸びるだけでなく、多様な樹木が寄り道しながらみなで成長している。そこには太陽に向かうという芯があるから無駄なものは何もない。倒れそうな人がいたらみんなで支える。自他利益のために実をつける。みんなのために生きるのが普通だからありがとうという言葉すらない。水、食糧、想像力。命の源にはなんでもある。




土砂崩れの宝庫に、動物たちの洗礼。野びと塾は過酷な環境に樹木を植えていることになる。とはいえ、ある意味まっさらな山の斜面(ガレ場)にイチから森林を作ろうという挑戦はぜいたくな話だ。土地所有者の佐藤さんも、子どもたちのためならと快く応じてくれている。



















 クローバーの種を蒔き終わり、さて残り時間、散歩にいくかという時、本降りの雨がやってきた。降りしきる雨のなか集合をかけ、子どもたちにどうしたいか聞くと、やはり散策したいという。どうしても山を歩きたいようだ。雨の増す昼さがり、藁科川の水源まで歩いた。林に入ると樹木たちが雨を避けてくれることを知った。一時間ほどで水源に到着するころには、あえて雨具を着なかった生徒がずぶ濡れで「寒い」と言った。みな無口になった。水源での記念撮影と課外授業もそこそこに、枝打ちをしていないスギの大木の下で昼食をとった。大木といっても太さはそれほどでもなく、ただし樹齢は80年以上。商用のスギは枝(無駄)を落として養分を上(脳)に持っていかせて背を高くするが、自然のスギは誰かが「トトロの木」というほどえも言えぬ美しさを誇り、私たちに雨宿りの場所を提供してくれた。
来た道をまたテント場まで歩いて戻り、小屋で茶をすすりながら会議をした。参加した彼らから発せられた言葉は以下に記載。



子どもたちの意見交換
・人間が自然サイクルの頂点というのが怖い。こんどは人間がほかの動物に食べられてしまうのではないか。
・人間と動物が協力して生きていけたらいい。
・いままで人間がいじめてきた自然を直すのは普通のこと。
・自然界からバツを受けている気がする。

私たち命のみなもとは、お金になるか、ならないかという判断の元、判決をくだされてきた。帰りの会で女子児童が笑顔で、山に対しての率直な意見を言った「反省の気持ちを感じている」。キラキラかがやく子どもたちの目、そして雨の森林。日本の森林そして日本人の未来も、美しくかがやくことを願っています。

野びと塾
青山まさとら

  


Posted by 野びと塾 at 21:13Comments(0)活動報告

2012年10月19日

次回の野びと塾は。。

第12回 野びと塾
秋のもりづくり大作戦





1年前、楢尾の山の中腹に野びと塾のキャンプ場を造ろうと参加者全員で考えました。

大きな石をどけ、クローバーの種をまき、春にはきれいなサクラが見られるようにと
100本の桜を植えました。

いよいよそこで初キャンプです。

実際にキャンプをして、どうしたらいいかみんなで作戦をたてましょう。

たき火のベストシーズン!もっともっと自然となかよくなろう。

(緑と水の森林ファンド助成事業)


160くわしい内容はこちら160  


Posted by 野びと塾 at 21:04Comments(0)イベント

2012年07月20日

2012夏野塾 感想文より

emoji52楽しかったこと

・料理

・自由行動

・テントはり

・たねまき

・苗うえ

・たき火をしたこと

・班活動(自由行動)

・新しい友達をいっぱいつくったこと。

・みんなとごはんたべておいしかったよ。

・みんなでてんとのなかでねたことがたのしかった

・ごはんをたいたことがたのしかった

・たんけん

・みんながたのしくあそんだこと

・毒きのこそうさ

・バスの中

・班決めの時




emoji52がんばったこと

・みんなといっしょにおいしいごはんをつくれた!(小3 女子)

・たきびでげんかいまでやった あめのときもかった (小4 男子)

・キャンプファイアーで勇気をだしてはっぴょうしたこと(小4 男子)

・今回もはんごうが成功するようにはんごうをたくのをがんばった(小6 男子)

・まきをひろってきたり火をおこすのもがんばった (小5 女子)

・班長として班員をしきったこと(小6 女子)



emoji52そのほか、感じたこと

・しぜんっていいなと思った (小6 女子)

・1日目の夜で話をしたとき自然はおこっていてつなみなどじしんなど大雨などでメッセージをつたえているんじゃないかとおもった (小5 男子)

・あめがふったときのほうがあったかかった。 (小1 男子)

・水の大切さをあらためて知りました。
 森で一人になるとそうなんしてしまうので、仲間の大切さを知りました。 (小5 女子)

・キャンプファイアーのときに自ぜんのはなしができてよかった (小5 男子)

・どうぶつがわたしたちがまいたたねをたべたりすることがしってよかったです。 (小3 女子)

・動物や水、山や海を大切にし、自分もがんばらないといけないと思います。 (小3 女子)

・ごはんおいしくないとおもったらおいしかった。 (小1 女子)

・またきたいと思った。 (小5 女子)

・今、日本があぶないんだなと思いました。 (小6 男子)

・自ぜんはたいせつにしないと自ぜんにおこられることがわかった。 (小4 男子)

・せんせいたちに なるべくしぜんをふやして (小3 女子)

・しぜんからのメッセージをうけとめる (小4 男子)

・メッセージの話は私は本当だと思いました。 (小5 女子)

・あいにくの雨だったけど、こんなキャンプもアリかなと思いました。
 1日目の夜にまさとら先生が話してくれた事は一生忘れないと思います。 (小6 女子)



  

    


Posted by 野びと塾 at 13:49Comments(5)活動報告

2012年07月18日

たき火を囲んで



野びと塾ではいつもたき火を囲んでいろいろなお話をします。


今までは好きなことについて、大事なものについて、防災についてなどを話してきました。


今回は夕食の後片付けのときに突然水道から水が出なくなってしまい、
その原因が前日までの土砂降りのせいだったことから
自然について話すことになり、いろいろな意見がでました。


emoji50 地震や土砂崩れなどは自然が人間に怒っているんだと思う。 


emoji50 人間は自然をこわしたりして自分勝手すぎる。


emoji50 クマが出てきたりサルなどが人間の食べ物をとってしまうのは、人間が動物の食べ物をうばってしまったからだと思う。


emoji50 森や田んぼをつぶして家を建てていたら人間の食べ物もなくなってしまう。


emoji50 ぼくの家の近くでは自然をこわして病院を建てているけどおかしいと思う。


emoji50 人間が捨てたゴミは海まで行って、海の動物がそれを食べて寿命を縮めている。


emoji50 小さいグループで自然を守るために話しあっていけばいいと思う。


emoji50 学校で環境を守る歌を作った。(その歌を披露してくれました)


emoji50 ずっと曇っていたのにさっき星が見えたのは自然からのいいメッセージ、ごほうびだと思う。





ミャンマー人のモウモウ先生はこんなことをキャンプの最後に言ってくれました。


みんなはとてもいい考えを持っています。

その意識を行動にうつしていきましょう。

もし、よいことができなかったとしても、悪いことをしなければいいのです。







  


Posted by 野びと塾 at 15:26Comments(0)活動報告

2012年07月17日

第11回 縄文自然体験学習 野びと塾 活動報告



日時:2012年7月14日~15日
場所:旧楢尾小学校と近隣ガレ場 外100%
活動:キャンプ、植樹、水源調査、村人と交流、焚火等
天候:曇りのち雷雨、のち大晴れ
目的:遊ぶ
参加:子供34名、大人8名

活動報告:
夏野びと塾の舞台である、旧楢尾小学校の蛇口から突然、水がでなくなった。夕食をたべおわり、食器をみんなで洗うときだったから、みんな焦った。ただでさえ水2ℓの制限をつけているし、あとは焚火の明かりだけになる。私はすぐに小学校上のお宅に訪問した。

上のおじさんは、すぐさま、それは困ったと、自分の家庭用水の、山林からの沢水をホースでつないで、小学校に通じるタンクに注いでくれた。おじさんは、水がでなくなった原因を話してくれた。

昨日の大雨による土砂崩れが原因であることがわかった。小学校の貯水タンクにつうじる沢がせき止められたのだ。そこに60年住むおじさんは言った。昔はこんなことなかったんだよ。

最近の「自然界からのメッセージ」は、誰もが気づけるレベルになった。大雨、大風、そして土砂崩れ。おまえら人間いいかげんにしろ。そんな声が聞こえてくる。大音量のメッセージは、まだ人類が滅びたくないのであれば受けとめろという類のものだ。野びと塾が植えた300本の苗木が、ことごとく鹿やウサギに食べられたこと。大量発生したクラゲが、ゲンパツ再稼動を阻止しようとしたニュース。これらは、自然界・動物界からのメッセージに他ならない。私たちは、これらの「言葉ではない」メッセージを、どのように捉え、そして形にするべきか。人間界は、いま、試されている。

今夏11回目をむかえた縄文自然体験学習 野びと塾。
夕食準備。約30年ぶりに復活した鉄鍋を、やぐらにつるして焚火で調理した。竹棒で鍋をかきまわす。料理の味とは、おもいやりに比例する。仲間を大切にすること、家族に教えてあげること、本当のことを言うこと。普通だったことが、とてもむずかしい時代になった。なぜだろう。

縄文時代は1万年つづいた。その後の「弥生時代」は300年しか続かなかった(この解釈には多数説有り)。年表をみると、奈良時代から70年サイクルで終わっている歴史・価値観が非常に目につく。これらと比べて縄文時代はケタが違う。では、なぜこれほどまでに縄文時代が長く続いたのか。逆に、なぜ、弥生以降はスパンが短くなっていったのか。これらの「難しい問い」を、焚火を囲んだ子供たちに問うてみた。すると、あっさりその答えを何人もの生徒が答えてくれた。争うこと、奪うこと、根底には人間の身勝手さが左右するということだった。

子供たちの意見をさらに集約すると、全員が平等か、そうでないかに、時代や生命の長短が現れるのだという。人間にも、動物にも、自然にも、おもいやりを持てるか否かに私たち生命活動の運命がかかっているのだ。自然の上に大いなる(とても偉大)という意識が当たり前だった縄文人は、人間関係にしても、墓地の大きさから格差や差別をしていなかったことがわかっている。縄文どころか明治以前の記憶がまったくない私たちであるが、小学生はそんな意識、記憶、本質を知っている。

ここのところ情報過多で、それらの意識はあっても、活動の場を他の価値観に独占されてしまっている。活動機会を作って提供することは私たち世代の責任で、今後の生活をこれ以上苦しまないためという、私たち生活にも最低条件のこととして反映される。たとえば今回の水がそれである。

夜半、12時ごろまで起きている生徒もいた。にも関わらず、朝4時には半分の生徒が起きていた。テントをたたきつける大雨に眠れなかったという。雨は、夜中2時~8時までつづいた。視界20mの大雨も多々。梅雨がさよならをした。

野びと塾で楢尾集落を訪れるときは、決まっていつも天気が荒れる。大雨、大雪、嵐、そして土砂崩れ。これはなぜか?答えはひとつ。自然界からのメッセージを受け取りにきている子供たちのためだ。自然界は必ずしも平等ではない。そして、なにより自然という自分自身のためである。学習プログラムできている生徒たちへの「洗礼」は、多くの気づきをくれる。過去を洗いながして礼をいわれるのである。礼にもいろいろある。私たち人間がしてきたことへの礼はとても厳しい。山体に穴を開けつづける人間に、叩きつける大雨というメッセージ。逆に、焚火の時間、そして二日目の自由行動では天候に恵まれて、生徒の一人が、自然さんに良いことしたから喜んでくれて星空みせてくれたんだよ!と言った。じつは初日は、山が喜ぶことをした。岩と石しかなかった標高800mのガレ場にたくさんの植樹をして、種をまいた。種をまくことは、山の斜面の保水力をあげるだけでなく、枯れ葉が草花にひっかかり土ができる、そこから植樹をしないと普通の樹木は根を張らない。今回植えた苗木はコナラ、カシ、モミジ、ヤマザクラ、タブノキ。すべて根を深く張る植生だ。頻発する土砂崩れの多くは、根を浅く張る針葉樹や竹林でおきている。表面を飾る山から深部まで到達する山へ。これが生命・水を循環させる。

さて、朝方からの大雨。焚火の炎が思うようにいかない中での朝食作り。4時間も掛かった。困難に背を向ける大人になってほしくないから、大雨で、いまの自分を超えてほしいと思った。決まって二日目はさらにおいしいものができあがる。

二日目はすべて子供たちの意思に任せて活動をおこなった。村を歩く班では、村人のお宅で水筒に水を補充する生徒や、昼食の玄米大豆オニギリに塩をかける生徒など、甘えるところは甘える、そして挨拶だけは忘れずに。モノが溢れた代わりに絶滅寸前のコト。本物だけは廃れさせることのないよう努めたい。

挨拶からはじまる、みんなが喜ぶこと。動物や自然も喜ぶこと。みんなからみんなにありがとうと言われることを一人一人が、一日一度する。

それがどんな勉強でも、学習は、普段の外遊びが直結してモチベーションに表れる。たとえば「座談会」の漢字の意味がわからなければ、それをイメージして遊ぶ。たとえばSchoolのつづりがわからなければローマ字をイメージして遊ぶ。窓がふたつ、hは椅子で、lは扉というふうに、イメージから遊んで綴りを覚える。勉強みたいに暗記するか、遊びで覚えるか、どちらが楽しいかは一目瞭然である。楽しくないと続けるだけ苦痛だ。これらのイメージ遊びは普段の外遊びから創造される。そのイメージは、誰かが植えつけるものでは長続きせず、自分で得ることで後々まで生きてくる。すべてを遊び心(イメージ)でやることで、世の中すべてを楽しめて、しかも効率よく作業できる。作業という言葉すら当てはまらない。仕方ないという気持ちがなくなる。あえて苦しい道がたのしくなる。気持ちの持ちようで苦楽が分かれる。それには普段から外遊びでイメージを培うことが必須である。なにもないところから遊びを創出する。遊べ。遊べ。被災地の仮設住宅で出会った方々を思い出す。気持ち次第でその人の生活環境がまったく違っていた。今回の野びと塾では、班分けも係りも、二日目の活動すべても子供たちのイメージと判断に任せた。簡単そうにみえるイメージも私たちの受けてきた教育をみるとトレーニングが必要だから、結果はすぐにでないかもしれない。日頃から外遊びを忘れずイメージを伸ばしてあげることに執着したい。感じること。想像は創造につながる。これから新しい時代・価値観が近い将来必ずやってくるから。

沢の水を小学校のタンクに貯めおわると、焚火をかこんだ43名の座談会が始まった。まず私から今回、水が不使用になった原因を話した。そしてみんなに質問をした。「自然界からのメッセージを、普段から受け取っているひと居るかい」すると、ほとんどの生徒が、無言でうなずいた。これには驚いた。さらに驚いたことに子供たちから次々と自然や日本の現状に対する意見が飛び交った。クマは、森を切り拓いた人間のせいで食料がなくて山から下りてきたのに、人間はクマが悪いといって殺してしまう、それはおかしい、など。自然界をテーマにした自作ソングをうたってくれた生徒もいる。自分を振り返ってみようという歌詞だった。今おかしくないかという意見が子供たちから本当に多数でた。納得できないニュースが最近やたら多いとか、その気持ちを忘れずに行動につなげてほしいと思った。ひとは人間だけでは生きていけない。私たちがいまなにをするべきか。それは子供たちがよく知っている。しかしそんな気持ちを実践に移せる場がないのが、日本最大のウィークポイントである。

いま日本は厳しい状況に置かれている。経済も、山も、子供も、天候も、政治も、人のこころも。意識に関わらずほとんどの人はそれに気づいている。その意識をあとは実践するだけになった。これからの時代に必要なものは、経済指標をテクニカルに分析する力より、もっと心身の延長線上にあるモノサシ。夏野塾をおえて、指標とするものを、子供たちから再教育されたことを知る。皆様いつも、ありがとうございます。

野びと塾 青山真虎
  


Posted by 野びと塾 at 21:33Comments(0)活動報告

2012年07月09日

ちょこっと予告

いよいよ夏野じゅくは今週末です!

34名の野びとたちが参加してくれます♪

ありがとうございます!


今回、こんなものを使うそうですよface22




島田市笹間の方にお借りした大きな鉄鍋です。

使うのは20数年ぶりだとか。



なので熱湯洗浄中ww



三角のやぐらももちろん手作り。

塾長、カツユキ先生、雨の中おつかれさまでしたemoji19



これで作るお料理、美味しそうですねface25








  


Posted by 野びと塾 at 21:50Comments(0)イベント